【3/25追記】令和5年度の炮術演武は雨のため中止が決まりましたのでご了承ください。
月末の高天神社例大祭にあわせ、高天神城北口搦手門近くで炮術演武大会が開催されます!
※3月26日 (日) 12時~(約30分間) 搦手門西側の田んぼにて 小雨決行
出演 :駿府古式炮術研究会
主催 :掛川観光協会大東支部
高天神社例大祭について⇒https://www.kakegawa-kankou.com/news/15967/
ズドンとおなかに響く銃声や立ち上る白煙も迫力があり、毎回楽しみにしてくださるファンも多い演武大会ですが、高天神城と火縄銃のつながりについて説明がありましたので、転載させていただきます。
◆高天神城炮術演武大会
~四百年の時を経て現代に蘇る高天神の戦国絵巻~
高天神城跡(国指定史跡)
この城は難攻不落の城として全国的に知られ、 戦国時代末期には武田氏、徳川氏がこの城をめぐって激しい攻防を繰り返したという歴史が残ります。 しかし、 天正9年(1581) の落城とともに廃城となり、以降400年以上の歳月が流れています。
このような歴史の残る当地にお いて、往時激しい攻防の中心的役 割を担った火縄銃が演武という形 で現代の高天神城跡に蘇ります。
◆高天神城と火縄銃のつながり
高天神城は駿河・甲斐の武田氏と三河・遠江の徳川氏の領土争いにおいて重要な場所にあり、 戦国末期には激しい攻防が幾度となく繰り返されました。
その攻防において重要な役割を担ったのが火縄銃の存在であり、 『遠州高天神記』にはその激しさを物語る記述が多々見られ、 『遠淡海地誌』 『遠江古蹟圖繪』によれば 高天神城落城より250年以上後に麓の畑から鉄砲玉が出土していると記されています。 また、城内には「的場曲輪」 と呼ばれる訓練場所も存在し、 兵士達によって戦闘のための訓練も行われていたことも伺われます。
◆『遠淡海地誌』弐番 城東郡
土方村 「(前略) 此山近辺ノ畑ヨリ今二鉄砲玉出ル也。 銅玉ナリ。」
(訳)この山 (鶴翁山) 近辺の畑から今でも鉄砲玉が出土する。 出る鉄砲玉は銅玉である。
*『遠淡海地誌』 が完成したとされる天保5年頃 (1834年・高天神の戦いより 250年以上後) でも高天神麓の畑から鉄砲玉が出土している。
◆『遠江古蹟圖繪』享和3年(1803) 成立 巻之上 古城 名松 墓碑 巨厳 古塚 池泉
高天神古城「(前略) 高神山の近処、 農民畑中より鉄砲玉を拾い出す事あり。 残らず銅玉な り。銅玉は能く鎧を通すと云ふ。」
(訳)高神山(鶴翁山) の近くでは、農民が畑から鉄砲玉を掘り出すことがある。 それはすべて銅の玉である。 銅の鉄砲玉はよく鎧を貫通すると言われている。
◆ 大東図書館には 郷土資料コーナーに高天神城関係の蔵書をまとめたコーナーが開設され、 郷土の歴史を紹介する 「郷土ゆかりの部屋」 には、発掘で実際に出土した鉄砲玉など、激しい戦闘を物語る遺物が展示されています。 是非ご覧下さい。
・掛川市立大東図書館
所在: 静岡県掛川市大坂 7152
電話 :0537-72-1143
開館: 9:00~17:00(木曜日は19:00)
休館: 毎週月曜日、 月末整理日 (最終金曜日) 、 蔵書点検日、年末年始及び3月31日